• 水石鹸入れ
  • 蛇口
  • シャワーヘッド

西原衛生のデザイン

  • Year
    1952
    Manufacture
    西原衛生工業所
    Category
    工業製品

西原衛生工業所の創業者であり、当時の社長であった西原脩三氏からの依頼を受けて、柳はデザインに取り組みました。西原氏は戦前から屎尿処理の研究に取り組み、下水道建設が遅れていた日本で浄化槽の開発に大きく貢献した人物です。また、水回りの金具がほとんど輸入品であった時代に、「パイロット印 高級衛生・暖房金具類」の生産を始め、国産化を進めました。この取り組みは衛生金具類の国産化の先駆けとなり、国内で高い信用を得ることとなりました。

柳が西原衛生工業所でデザインに取り組み始めたのは、1950年代初頭のことでした。主に「パイロット印」の公共用水栓やハンドルなどをデザインし、さらにそのカタログの表紙デザインも手掛けました。カタログ内には、柳が手掛けたデザインが数多く並んでおり、1956年に松屋銀座で開催された第一回柳工業デザイン研究会展にもカタログのグラフィックとともに多くの製品が出展されました。

1950年代後半から1960年代にかけて日本では都市ホテルの建設ラッシュが始まりました。その中で1962年に開業したホテルオークラでは、柳が水栓やシャワーヘッドのデザインを担当しました。

これらの製品は1960年代までに高級金具として多くの著名な建築物に使用され、広く認知されました。しかし、1960年代後半には金具の大量生産時代が訪れ、「パイロット印」の製品はその使命を終えました。