• 横浜野毛山動物園と遊園地の案内板

横浜野毛山公園の歩道橋と案内板

野毛山公園のシンボルとも言えるこの歩道橋は、市民の声とそれを受け入れ迅速に対応した市長の実行力から生まれました。当時の横浜市長・飛鳥田一雄氏は、地方自治体での住民自治に理想を求め、今でこそ当たり前とされている“ 市民参加 ”を実践する試み“1万人市民集会”を公約とし、市会では否決されましたが市民が自主的に行う形で実現しました。 1970年に開催された2回目の“1万人市民集会”で、ある老人が「 交通量が増えている折、 動物園と遊園地は遊び場が二分されている状況で子供達には危険だ 。地下道か歩道橋を設置してほしい」と訴えました。これを聞いた飛鳥田市長が即刻 、柳にデザインを依頼 。翌年3月に完成しました。

当時、日本の歩道橋は美観を無視したものがほとんどで、最低限の機能があり構造的に問題がなければ良いとされていましたが、土木構造物を魅力的にデザインすることで、都市空間の質を上げようという柳の考えから、斜張橋という当時では最新の構造で設計されました。吊り橋周辺の高欄(手すり)には、金属パイプの上部先端を潰した柳デザインの代表的手法が用いられています。 また、つり橋のデザインと合わせて、動物園の案内板、公園・動物園内の標識デザインも手掛けました。