• 丸皿:染分/青/中青 牛ノ戸脇窯(1959)
  • 丸皿:染分/青/中青 因州中井窯(2000)

染分皿

山陰地方では、1931年より吉田璋也が中心となって民藝運動が展開されており、父・柳宗悦や河井寛次郎らもたびたび指導に訪れていました。柳宗理もまた、吉田璋也によってデザイナーとして招聘され、牛ノ戸脇窯(現・因州中井窯)を訪れます。滞在中、柳はろくろを回す若い職人につききりとなり、ひと晩をかけて一枚の皿を作り上げました。こうして生まれたのが「染分皿」です。

黒釉と緑釉の鮮やかな対照が印象的な「染分け」の技法は、吉田璋也が牛ノ戸脇窯再興のために考案したものでした。柳はこの技法を生かしつつ、縁を幅広に、全体の形状をよりシャープに整えることで、和の器でありながら洋皿としても違和感なく使える、モダンな器へと昇華させました。とりわけ特徴的なのが縁の処理で、釉薬をかけず素焼きのまま残す「緑抜き」という手法が用いられています。

一般的に、ろくろ成形の器は内側の形に合わせて外側を仕上げていきます。しかし柳が理想としたのは、料理を盛りつける内側は柔らかな曲線を描きながら、外側は直線的で緊張感のあるフォルムをもつ形でした。曖昧で厚ぼったい形を避けるため、縁の内外のエッジが明確に立ち上がるまで何度も試作が繰り返されました。

「染分け」のほか「青」「中青」などのバリエーションが展開され、1960〜70年代に製品化されましたが、制作難度の高さから生産中止となります。荒土を用い、ろくろ成形でシャープな線を出すには、高度な職人技が必要でした。

その後、2001年より因州・中井窯におけるディレクションシリーズの一部として、「染分皿」は再び制作されることになります。この再制作にあたっては、作りやすさにも配慮し、皿の内側の形状に呼応するよう、外側も丸みを帯びたフォルムへと変更されました。